L'Appréciation sentimentale 2

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなど好き勝手に書いてます

遠藤周作文学館に行ってきた

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今年の6月か7月くらいに、地元の北海道新聞の何かの記事で遠藤周作記念館のことが紹介されているのを読んで、所在地が長崎であることを知り、大いに興味を持った。調べてみると、長崎市のバスターミナルからバスで75分ほどらしい。それならば、長崎に行く際にうまく時間を工夫すれば訪れることが可能であると算段をふんでいたが、うまい具合に12月に所用で長崎に行く機会があり、今回を逃すともう二度と訪れることはないであろうと思い、遠藤周作文学館に向かった。

長崎駅の観光案内所でルートを訊ねると、長崎外海地方のパンフレットをもらい、駅の歩道橋を降りたところにあるバス停を紹介された。予定よりも7,8分ほど送れて到着したバスに乗り込むと、文学館までバスで1時間半以上もの時間がかかった。山を何度も越えるため、左右の急カーブが何度も連続して揺れが激しく、乗り物酔いする体質のためバスでの読書はあきらめ、景色をながめやる。北海道では考えられないくらいの細い道とその周辺に連なる家並みに目を奪われる。町をいくつも通り抜け、狭い山道をバスは高速でグイグイ突き進む。目的地となる道の駅のバス停で降りてから、細い道を下った先にあるこの文学館は、ほとんど崖の上に位置しているため、夕方になるとその美しい日差しが注ぎこむ。この場所こそ、『沈黙』の舞台となったトモギ村のモデルなのである。

文学館内部は大変見晴らしのよい光が充溢する空間であり、グレゴリオ聖歌の優しい音色がBGMとして鳴り響いている。遠藤周作の生い立ちや創作の苦悩の足跡がわかるように、生誕から折々の氏の言葉がパネルで展示されている。生原稿を見ると、原稿用紙の裏にびっしりと細かい文字で、何度も修正を加えて推敲を施しているのがわかる。作家の生原稿は刺激の山だ。取材ノートや原稿を見ると、小説を完成させるために苦心惨憺する遠藤周作の息づかいが感じられ、こちら側も大いにインスパイアされる。見るだけで、文学偏差値が上がってきそうだ。この刺激を受けるためにここまで来たのだ!

別室には書庫の本がきれいに整理整頓されている。伝記、古典、日本文学全集、世界文学全集など、ベーシックな文学作品がほとんど欠けることなく並べられている。これらの膨大な書物遠藤周作の作家としての土壌を形成したわけだ。『沈黙』によって遠藤周作ノーベル文学賞候補にも上がっているとされているようだが、実際はどうなのだろう?もちろん、作品の水準からして、その可能性は十分あるだろう。

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館内の壁に虹が出現。ちょうど通りかかった係員さんが言うには、季節によってステンドグラスを通して虹が出現するとのことらしい。

折しも、マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の代表作『沈黙』を原作とした映画の公開が来年に迫っているため、街の書店では、新潮文庫を中心に遠藤周作の作品が平積みされている。没後20年近く経つが、それでもなお、これほど絶版にならずに入手できる作品が多い作家もまた珍しいのではないだろうか。Syusaku Endoはもっと評価されていいと思う。その後は出津文化村までバスで移動し、沈黙の碑へ。

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そして、ド・ロ神父記念館へ。ここもまたすごい。ド・ロ神父の生涯には大変な衝撃を受けた。他の地域では全く無名だが、こういう人こそ教科書で紹介されるべきである。この人についてはまた別の機会に書こう。

帰りの夕日が実に美しい。虹といい、この雲と光のグラデーションに彩られた空の輝きに、ここに来たことの祝福を受けたような気がした。

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