L'Appréciation sentimentale 2

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2016年大掃除終了

クリスマスに久し振りの腰痛を発症し、その翌一日たっぷり休むとだいぶ回復した。自分の中で腰痛は、良くも悪くも、人生の変わり目に起きることが多いので、これも今後のいい変化の前触れだと前向きに捉えておくことにして、その後は部屋の大掃除をしまくり。部屋に溜まっていた、明らかに不要と思われる書類、チラシ、雑誌記事を捨てまくった。2016年最後の日の燃えるゴミの日の前日だったこともあって、一度始めると歯止めがきかなってしまって、市で定められている燃えるゴミの袋で最も容量の大きい40リットルいっぱいに詰め込む頃には、いつの間にか明け方5時近くになってしまった。総重量はおそらく20kg近くはあるだろう。部屋の見た目は何も変わらないが、こんなにも不要なものが部屋にあったのかと思うと驚きである。腰痛の病み上がりにヘヴィなゴミ袋をごみステーションに運ぶのは、実に大変な作業ではあった。

それで終わりかと思いきや、なんだか普段なら手の届かないところや、物陰に隠れている箇所などを重点的に掃除をしなければ気が済まなくなってしまって、「もういいや、ここで終了」と思っても、汚れが残っているところはどんよりとした波動を感じて気になって結局大晦日も午前中から掃除を慣行。ようやく終わったところである。不要なものを捨てて部屋の汚れも取れた分、心が軽くなったような気がする。
 

今年放映されたフジテレビの世にも奇妙な物語で、深田恭子扮する新人アナウンサーがものを捨てた分だけ新しい仕事が入ってきて、どんどん出世していくというストーリーがあった。捨てるために捨てる、というのは断捨離の罠だ。断捨離が流行するのは、捨てた分だけ何か新しいことが起こるのではないかという期待感が不要なものを捨てる意欲を駆り立てるからだ。

人生でいろいろなことを経験するたびに人間の波動は変わるものである。それに伴って必要なものや不要なものも変化していく。かつては熱烈に必要だったものでも、今では全く見向きもしなくなったものも出てくる。時期が来れば、いらないものは自然と捨てることができるようになっていくから、あまりこだわらないのが一番だ。

去年も一昨年もほとんど掃除らしい掃除をしなかったが(3年前はこれでもかというくらいの書類を捨てたものだが)、それだけ昨年末と今とで心身も大きく変化したのだろう。今はもう罠に陥ることがほとんどなくなって、不要なものを捨てた分、なんだか自信も出てきた。

今年はなんとか本も出すことができた。いろいろと難産で、はたして本当に出版されるのだろうかと思うことも一度や二度ではなかったが、ともあれ無事に世に出たことで本当に安心した。来年はもっともっとインプットを増やして、インプット以上にアウトプットを増やしていきたいと思う。