L'Appréciation sentimentale 2

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなど好き勝手に書いてます

魂の消耗を防ぐ精神的補充の大切さ

しばらく間が空いた。オヒサシブリデス。

ブログを書くという行為は時に非常に孤独で、続けるには相当な根気が必要だ。かれこれ13年不定期に渡ってゆるやかに更新しているが、それでも続けるのはなかなか至難の業だ。

最近、K先生による「“田舎”で生き延びる方法」(1999年ver1.04)を読んだ。20年近く経っても全く古びていない内容で、モチベーションが低下する要因が極めてロジカルに論じられている。対象は研究者だが、これは日々あらゆる活動を行う(行おうとしている)全ての人に通じる内容だろう。大ざっぱに言えば、“田舎”には同業者が少なく、大型書店もないため、刺激が少なくてやる気の量が低下する機会が多いとのことだ。そのため、「やる気」の精神的補充が絶対に必要なのだと説く。

これは身につまされた。というか、何となく漠然と感じていたことが、明確に言語化されて大いに納得した。普通に毎日生活するだけでも、何かしら意欲は少しずつ失われ、それが自明になりすぎてしまって、全く力を発揮することができないくらい意欲が低下することがある。そんなコンディションでは、なおのこと精神的補充の確保をおろそかにしてしまって、ますます意欲が低下して、補充する意欲すらも消滅する...そんな悪循環は避けなければならない。いかに精神的補充を行うかは、人生をサバイブするための必須かつ重要なスキルなのだ。いわゆる「鬱」は、様々な要因でやる気が著しく低下して引き起こされるのだろうと思う。

札幌はここでいう“田舎”と言えるほどではないが、それでもクリエイティブな刺激を得る行為は、意図的に行わないと厳しいのを感じる。以前からときおり感性を磨くために東京の美術館に出掛けていたのは、潜在的に精神的補充が必要だと心で感じていたからだろう。普通に毎日生活するだけでも、何かしら意欲は少しずつ失われ、それが自明で気づかなくなってしまって、全く力を発揮することができないくらい意欲が低下することがある。

精神的補充で一番いいのは、気の合う人と会うことだろう。お互いに締め切りやその他の都合などで、約束を取り付けるのも難しいことが多いが、やはり気心の知れた人と専門分野の話をするのは、精神的健康にもすこぶるよい。

ほかには、書店に行く、思い出深い場所を再訪してみる、銭湯や温泉に行く、旅に出る、早朝の朝日を浴びる、演劇や映画を見る、日記に心情を綴る、部屋や本棚を整理する、掃除する、お気に入りのカフェに行く等々、いろんなメニューが考えられる。ほかにも、力が回復する言葉だけをまとめた秘密のノートを読み返す、というのもいいだろう。大切なのは、罪悪感を感じずに楽しむことに尽きる。

「魂の致命的な敵は、毎日の消耗である」と言ったのはロマン・ロランだ。けだし名言である。