L'Appréciation sentimentale 2

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなど好き勝手に書いてます

ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』読書会から考えたこと

日本ノマドエデュケーション協会による読書会第36回@札幌カフェに参加してきた。
今回の課題図書ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』(NHK出版)である。この本の第二章が雑誌『WIRED』の人工知能特集で一足先に訳出されていたので、出版されるのがとても楽しみだった。

内容自体はとても興味深い。ウェアラブルのデバイスによって、身体情報やライフログが可視化され、あらゆることがトラッキング可能になり、情報はクラウドに残ってフローとして流れてシェアされ、すべての製品にチップが付けられてコントロールされていく。シンギュラリティー、IoT、人工知能などホットな話題がちりばめられ、これから最も注目される技術による未来予測がこれでもかとばかり繰り出されていく。

それはそれで非常に面白いものだが、問題は、それが人間にとってどのような価値があるのか?更に、経済的な価値としてどのように市場に流通していくか?流通させることが可能なのか?そこらへんが完全に欠如している。

つまり、本書は未来への予測があまりにも楽観的すぎることだ。というのも、人間が抱えるダークサイドへの懸念が全く描かれていないからだ。

画期的なデバイスの発明によって、映像や写真を撮ることは十数年前とは比較にならないくらい容易になった。そのため、インスタグラムやバインなど、その種の作品を公開するSNSは膨大に存在する。だが「素人」の作品が乱立していく玉石混合の状況の中で、どのように受け手に届けるのか、作品の批評がどのように確立していくのか、さらには、その媒介や橋渡しをする批評家、コミュニケーターの存在の必要性など、その辺の視点がすっぽり抜け落ちているのではないか。逆に、受け手としては、その中からいかに自分好みのものを見つけ出していくのか。

その辺の状況については、すでにおよそ10年ほど前に梅田望夫が『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 』(ちくま新書)で一億総表現化社会として描かれているが、今後は人工知能やデバイス、AR技術の進化によって、地球規模でいっそう加速していくのだろう。

最先端の技術による恩恵を受ける人もいれば、今でも「グーグルって何?」という世代もいる。デジタルディバイドやデジタル格差は開いていく一方である。デジタル格差を縮めるための社会構造をどうするか?その辺もこれからの課題でだろう。


更に求められるのは、専門的知識を有するデザイナーが最先端のデバイスを使いやすいインターフェイスをデザインすることだ。おそらく、技術者や科学者だけが未来に希望を持つ技術を開発しても、それを活かしてうまくカタチにするアーティストの存在が欠かせないのではないか。おそらく富士通ソニーのような企業はかつて画期的な技術を持っていたはずだ。それがイノベーションのジレンマなのか、様々な障害によって、世界に通用する製品を作ることができなくなってしまって(たとえその様な製品を開発しても、その凄さや可能性がわかる人間がいないなど、いろいろ考えられる)、すっかり凋落してしまった。

IoTの技術を活かすためにも、科学者だけが開発してはダメで、それを活かす突拍子もないアイデアを盛り込む必要があるわけで、そのためにもアーティストの力やデザイン思考がいっそう求められると思う。

また、MITの石井裕先生が提唱するtangible bitsによって、本書を越える技術がきっと続々と出現してくるだろうと思う。

さて、読書会で話題に上がったのは、人工知能は別に「知能」ではなく、単なるアルゴリズムに過ぎないのではないか、ということだ。だが、たとえアルゴリズムだとしても、今後の進化によっては、自らディープラーニングによって自律的に進化し、「知能」としての機能を有する可能性もある。それに伴い、人間社会でも進化が減るなど、いろんなパラダイムシフトが起こることはすでにいろいろ言われていることである。

そこで、次の読書会の課題図書が決まった。

ジェリー・カプラン『人間さまお断り』(三省堂)である。人工知能研究のトップランナーである松尾豊先生も激賞するこの本。実に楽しみだ。

さらば、両さん!

ジャンプで不動の連載記録を打ち立ててきた『こち亀』が最終回を迎えた。永久に終わることがないと信じてきた、そして、あまりにも「当たり前」に存在していた作品が、終わってしまう。もし『こち亀』が終わるとしたら作者の急逝しかないと信じて疑っていなかった(過去に作者の急逝により激しくショックを受けたのは、藤子・F・不二雄だ)。

コミックス200巻を機に連載を終えるという決断を下したのは、作者である秋本治の苦渋の葛藤であり、そして英断だろう。物心ついたときから『こち亀』が僕の傍らにあった。漫画の読み方を学んだのも、『こち亀』のおかげだ。百科事典のように膨大にちりばめられたトリビア、広いテーマ性、独特のセンスで繰り出される豊富なボキャブラリー。地下世界から深海、宇宙空間まで縦横無尽に駆け巡る破天荒な両さんの行動は、常に自分を気持ちを励ましてくれた。自分のボキャブラリー形成に大きく寄与したのも『こち亀』の影響が大きい。

こち亀』が終了するという一報が流れてから、メディアの扱いも大きくなった。著名人のこち亀に対する思いが記事で紹介され、NHKのニュースでも特集が組まれていた。葛飾区の公式ツイッターでは、『こち亀』一色になった亀有駅の写真が公開されている。漫画界のなかでも屈指の「戦場」とも言える『週刊少年ジャンプ』で、40年間一度も連載を落とすことなく続けてきたことが、想像を絶するほどすごい偉業なのか、それはもっともっと評価されてもいいだろう。

「当たり前」のように続いてきた『こち亀』が唐突に終焉を迎えることで、その価値がどれほど偉大だったのか、今改めてそのすごさに瞠目するが、最終回ゆえにに寂しさを感じるのかと言えば・・二度目のことだから、衝撃は緩和されている。なぜなら、69巻に収録されている「両さんメモリアル」のニセ最終回で、かつて最終回のショックを味わった影響があるからだ。だが、今回は本当に最終回だ。それでも、今回の最終かもドッキリで、300巻も出るくらいこれからも続くのではないか、と思わずにはいられない。そこが、こち亀の影響力の凄さであり、これもまた、とてつもない偉業ゆえになす技なのだろう。

ありがとう、両さん
さようなら、両さん
そして、秋本先生、ありがとう。

丸善札幌北一条店の閉店・・・

丸善札幌北一条店がいつの間にか閉店していた。店舗の前を通ると、閉まったシャッターに9月4日をもって閉店しました、と書かれた無情な張り紙がぽつんと貼られていた。ガラス張りになっている壁から店内を覗き見ると、むき出しになった本棚がさらされており、店員が本棚を整理しているのが見えた。その姿からは、何ともやりきれなさというか、無念さが伝わってきた。

丸善はなんとなく敷居が少々高くて入りづらい感じがあった。それがいいとか悪いとか、そういう問題ではないのだが、本屋は気軽にふらりといつでも立ち寄れるような、そういうアーキテクチャーで店舗を空間設計する必要があると思う。

丸善の札幌店は過去にも閉店をしており、その後、アップルストアになった。そのアップルストアもビルの建て替えなどの関係で閉店した。その後、いつの間にか北一条に丸善が復活していたわけで、なかなか充実した品揃えで時々寄っていただけに残念である。さらに、大丸札幌店の三省堂書店も閉店していたようだ。有名チェーン店の書店でも淘汰の嵐が起こっている。それでも全く本が売れていないのかと言えば、実は必ずしもそうとは限らないというのが私の考えだ。もちろん、現在は書店に限らず、コンテンツビジネスは大変厳しい時代だ。それでも、打開策はあると思う。

それについての考察はまたの機会に!

NECCOの「陰鬱旅団展」

 

 

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SAPPORO UNDERGROUND NECCOにて現在開催中の「陰鬱旅団展」を見てきた。NECCOを訪れるのもヨシキヨ氏に会うのもかなり久し振りですぎて、ドアを開けるのに緊張してしまう(汗)。

 

 

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中は相変わらずの禍々しさ。展示されている作品のアングラさが際立っているおかげで、毒々しさにいっそうの拍車が掛かっている。お葬式の垂れ幕、ゾンビ、どくろなど、死と残虐性を彷彿させる様々なモチーフが満載。ほとんどが道外の作家の作品ばかりということで、「詳しく聞かれても分かりません!」と説明を拒否!とはいえ、なかなか貴重な機会だろう。
ろまん氏の冊子も置いてある。パラパラとめくってみると実にかわいく、性的な表現にも身体を張ってポーズを決める作者の決然たる覚悟が伝わってくる。奇しくも熊本出身で、地震のため出展不可能だった作家さんがいたので、代わりに募金箱が置かれていた。

 

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来場者にはお香がプレゼント!

雑談をしているとに何人かお客さんがやってくる。物販が順調で、かなり売れたとのこと。「札幌で限界を感じているけど、なんとか5年間やってきた」と、ヨシキヨ氏はイベントスペースを運営することの苦労をぼやくものの、氏の展示センスと作品のアングラさにただただ脱帽するしかない。

会場:necco
期間:2016.6/19~7/2
時間:平日19時~23時 土日13時~18時
料金:無料

2016ACFアートサロン 藤田貴大トークショー 演劇そして表現へ、想うこと

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先週金曜日になったが、今や飛ぶ鳥も落とす勢いの劇作家、マームとジプシー主宰の藤田貴大氏のトークショーに行ってきた。聞き手は演劇ジャーナリストの徳永京子さん。

都合により最初の15分くらいは遅れてしまったが、本題に入ったのは、開始から30分異常すぎてからだったので、ある意味ちょうどよかったかもしれない。

藤田氏は大学卒業後はヴィレッジヴァンガードで働き筒演劇に携わっており、店長になってやるという意気込みで働いていたところ、今回の聞き手である徳永京子さんが訪ねてこられて取材を受け、劇評が載ったことがきっかけで人生が変わっていったのことだ。

興味深いのは、藤田氏が北海道の伊達市で育ったことが演劇人生を形作ってきたことだ。

伊達市ですごした時代には、よく苫小牧のヴィレッジヴァンガードに本を買いに行っていたそう。途中の国道は高波が来ると封鎖されるので、車で連れて行ってくれる先輩とタイミングを見計らってヴィレッジヴァンガードに通っていたとのこと。高校卒業を機に上京したことで、北海道では演劇をやらない、という決意があったため、北海道でワークショップなどで関わることには何かしら「後ろめたさ」があるという。他の地方都市ではそういう気持ちにはならないのに、北海道だけ避けてしまうような、何か特別な気持ちを抱いたようだ。

藤田氏は岸田國士戯曲賞を26才の若さで受賞、その後の人生の方が長いということもあって、年間10~11本公演を打つのではなく、新プロジェクト「ひび」を立ち上げるなど、意欲的に公演活動を続けている。マームとジプシーはまだ北海道公演は、費用面の制約など様々な理由でまだ実現していないが、その理由は藤田氏が北海道出身であることも少なからず関係しているようだ。

最後には札幌国際芸術祭2017のディレクター、大友良英氏も乱入して、終了予定時間が15分ほど超過した。

藤田氏のプロフィールは北海道出身とだけ書かれることが多いが、本人の口から北海道に対する思いを生で聞けたことは、大収穫だった。故郷というトポスがいかに精神の根幹をなすものか、「場」のもつ力の強さをまざまざと感じた。それだけに、今回のようなトークショーを札幌で行うことも、気持ちの整理を付けるのが相当大変だったようだ。だが、いつの日か、マームとジプシーの北海道公演を観てみたいと思う。

 

伊藤若冲展@東京都立美術館

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先月東京に行ったときに、若冲展の前売りチケットを買ったところ、4月22日から開始なのに、なぜか4月22日までだと勘違いしてしまい、いざ都立美術館に行ったら、まだはじまっていなかった、、、という痛恨のミスをしてしまった。買ったチケットを無駄にしないためにも、会期終了までの間にどうしても東京に行く必要が出てしまった。

というわけで、先週金曜日にムリヤリ東京都立美術館の若冲展に行ってきた。

特設サイトにはとんでもない待ち時間の情報が連日アップされていて、悪寒が止まらなくなる。GWを過ぎてから平日だろうが悪天候だろうが一切お構いなく、連日240分待ちが当たり前になり、ひどい時は300分待ちなのはビビった。そして大いに呆れ果てた。これから会期終了までは待ち時間が長くなることはあっても短くなることはない。まあ、こんなに並ぶのも一生のうち何回もないだろう。
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そう覚悟を決めて勇気を出して、上野公園に向かうと、係の人が掲げている看板は時間が210分と、思ったよりも少し短かった(210分で短いと感じてしまうところが、感覚がクルった証拠だ)。事前に行列のことを知らずに210分という看板を見てあきらめる人も多く、かなりの人が落胆してUターンしていった。私が並び始めたのが14:15前後。列の途中にトイレもあったので、列をけるときは周りの人に声を掛け合いながら場所を確保しながら用を足すこともできた。気温はやけに低く、もう一枚着込んだ方がよかったと少し後悔。並びながらも、文庫本二冊を交互に読み進め、およそ両方半分くらい読んだところで入室となった。時計を見ると17:50くらい。長いのか短いのか、感覚が大いに狂う。

これまで都立美術館では、フェルメール、モネ、スーラといった西洋美術の展覧会ばかり見てきたので、日本画家の展覧会は実に新鮮だ。動植綵絵釈迦三尊像が展示されている円形の部屋に入った瞬間、とんでもない感覚に襲われた。もう絵から放出されているエネルギーの高さにクラクラとして倒れそうになった。円形にぐるりと囲まれているから、よけいに全身に波動をビンビンと感じて、それがとてつもない快感を感じてしまう。
絵の持つアウラとでも言おうか。
これは画集を見ただけでは味わえないだろう。
絵が展示されている空間に身を置くことで味わうことのできる、シャワーのようなものだ。

若冲はどんな魔術を使ったのだろうか?

 一つ一つを眺めるのにはあまりにもごった返して、じっくり見るのは難しかったが、精密に描かれた梅、鳥、鶏に、若冲特有の一ひねり効かせた奇想、森羅万象の一瞬の輝きを鮮やかに切り取った構図と、そこに釈迦三尊像がアクセントとなって、生命の躍動の影にはかなさがあることが暗示させられる。

210分待ちだろうと、300分待ちだろうと、並びたくなるのは無理もない。いや、300分待ちでも短すぎるのかもしれない。これを逃したら、300分どころか、何百万分待っても鑑賞することが不可能だからだ。凄まじすぎる。

今日で最終日。果てしなく長い行列ができた場合の対処は、今後の大きな課題だ。

新しくブログを始めます。

新しくブログを始めることにしました。これまで某プロバイダーの無料サービスでブログを運営していましたが、そのサービスが消滅してしまったことに伴いgooブログの方にブログを引っ越しました。そちらはあくまで旧ブログとして残しておくことにして、このたび心機一転、はてなで新しくブログを開設することにしました。

旧ブログはこちら


tumblrでも同名のサイトを持っていますが、どうも使い方が個人的にしっくりしないので、tumblrの方は写真をメインに使っていきたいと思います。

とりあえず、自分の気に入ったものや好きなことなどをひたすら書き綴っていこうと思います。あいかわらず、更新は不定期で、一応テーマは映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなどのレポートとしていますが、かなり適当です。


どうぞよろしくお願いします。