L'Appréciation sentimentale 2

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなど好き勝手に書いてます

ジェリー・カプラン『人間さまお断り』読書会 @学習塾はる

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先月になるが、学習塾はるにて、ジェリー・カプラン『人間さまお断り』の読書会&議論が行われた。今後、人工知能が台頭して、人間の仕事がどんどん奪われる、とまことしやかに言われているが、本当なのだろうか?

道義的なことでも人間が判断するのではなく、人工知能にゆだねるのであれば、政治も全て人工知能に判断してもらう方がよっぽどいいのではないか、ひいては、地球全体の七〇億人が直接民主主義として人工知能に政治的判断を全てを委ねればいいという意見もあれば、自動車の運転や機械的な作業が人工知能が行うようになったとしても、あえて人間がやることで価値が出るのではないか、という議論も出た。人工知能が車を運転するタクシー会社を選ぶのではなく、あえて人間が運転するタクシー会社を選ぶ選択肢がある方がいい、というわけだ。

コミュニケーションが必要な部分は人間が行った方が良いのか、それとも人工知能やロボットがコミュニケーションを含めて全て行った方がいいのではないか意見が分かれるところである。たとえば、飛行機のCAのような接客業もロボットや人工知能が行うとしたらどうなのだろうか。ロボットが接客を行う所と、人間があえて接客を行う二種類の航空会社なりデパートがあるとして、客がどちらかを選べるようにした方がいい、という意見が出た。人間とコミュニケーションをしたい人が行くなら、人間が接客している所に行くとして、それを望まないならロボットが接客する店なりサービス会社を選べばいい、というわけである。そうなると、感情労働も減ることになるのかもしれない。

問題となるのは、人工知能が全盛の時代になると、人工知能をどう活用するか、その是正や規制、法整備が必要となるので、そこが最大の課題となる。どこまで人間が行って、どこまで人工知能が行えばいいのか、その線引きや倫理的問題は全くもって難しい課題で、法律や制度設計は専門家でも意見が分かれるところだろう。先に挙げた七〇億人総直接民主主義という社会でも、人工知能による意思決定システムも全てオープンソースで構築すれば可能だ、という意見も出た。とはいえ、それは実に設計主義的な理想論を奏でる内容で、人間がシステムを構築する限り、何らかの不正が行われないという保証は一切無い。それこそ、東野圭吾『プラチナデータ』で政治とデータシステムが結託することの危険性を見事に描いているように。

とはいえ、技術的にもまだまだ人工知能は難しいところが多く、ディープラーニングでどこまで可能になるかは全くもって未知数だ。人工知能に支配されるというディストピア的な未来像におびえるのではなく、人工知能を人間がどう馴致して共存していくのか、それが今後の課題であろう。そんな議論だった。

ところで、人工知能に判断してもらうと一口に言っても、そもそも人間の意思のメカニズムはどうなっているのだろうか?そこでうってつけなのがノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』である。『ファスト&スロー』の読書会についてはまた別の機会に!

 

月刊『サウナー』とOFR48 人を通して温泉を知ること

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入手してだいぶ時間が経ってしまったが、『月刊サウナー』というフリーペーパーがあるのをご存じだろうか?ひょんなことからこのフリーペーパーを入手することに成功したわけだが、サブタイトルが「湯きち」「サウナ初心者からサウナーまで」とあり、温泉施設で働く女性達で結成されたOFR48なるアイドルグループの情報がてんこ盛りである。OFR48の紙面では「おふろデートにつれてって」とあり、私が入手した号ではメンバーのまいちんが卒業したことが触れられている。

以前も小学館から『サウナー』という雑誌があることに驚愕したことをブログで綴ったものだが、さらに月刊でサウナをテーマにしたフリーペーパーが出ているのだから恐れ入るしかない。2011年に結成されたOFR48は、五年経って今なお現役で活動しているところがすごい。今もメンバーや加盟店を募集しており、総選挙も行うなど、その活動領域はますます拡がりをみせている。

紹介されている温泉が、神奈川、埼玉、山梨、愛知、奈良が中心で、北海道に住んでいる身としてはアクセス困難な施設ばかりではあるが、それでもOFR48メンバーがいるのならば、その温泉にはどうしても興味をもってしまう。そんな気持ちにさせられる魅力がある。これは大変魅力的なビジネスモデルだと思う。なぜなら、人を通して温泉を知り、また温泉を通して人を知ることになるからだ。

いくら地域創生とか国や自治体がマクロ単位であれこれ言っても、直に体験してみることにはかなわない。そういう意味では、OFR48 の活動は、メディアにも登場し、各種SNSで情報をこまめに発信し、持ち歌もあり、さらには多くのイベントに出演してその施設をアピールすることで、より温泉、サウナの文化の貢献を担っているわけで、ひいては顧客増加、まちおこし的な役割まで果たしているのであるから、全く大したものである。

OFR48は全国単位で普及しても良いのではないだろうか?全国でメンバーや加盟店が増えるとなると、グループの活動で集まる際には困難が生じるなど、なかなか難しいところもあるが、ぜひ北海道から九州、沖縄まで全エリアをカバーするくらいまで広がって欲しい。そうすることで、より温泉施設の知名度も上がるに違いない。温泉大国日本ならきっと可能なはずだ。

ちくさ正文館書店、喫茶モノコト~空き地~にて岡部昌生氏の芸術作品に遭遇

先日名古屋に行った際、JR千種駅近くにあるちくさ正文館書店を訪れた。この本屋は人文系の専門書がものすごく充実しており、書店員の強いこだわりと自負が感じられる名古屋でも屈指の品揃えである。一つ一つじっくりと背表紙を眺めるだけでも軽く1時間半くらいは経過してしまう。いくらネット書店でポチる人が増えようが、小型で充実しているリアル書店の奮闘を見ると、やはり買わずにはいられないものだ。今度の読書会で読むことになっている課題本をここで買おうと思ったが、残念ながら見つからなかったので、代わりに新書を一冊購入。店長と思しき方が満面の笑顔で対応してくれるところに、お客様に買っていただいてくれているというありがたさが伝わってくる。実に素晴らしい書店なのである。

購入した際、おつりと一緒に渡されたのが、書店二階にある喫茶モノコト~空き地~の50円オフチケットである。前回来店時には二階にテナントは入っていなかったが、半年ぶりの来店ということもあっていつの間にかカフェができていた。夕食を食べていなかったこともあり、閉店まで一時間ほどあるので、タイミングもちょうど良い。ついでだからここで夕食をとることにした。

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店内の階段から二階に上がると、実にだだっ広いスペースに、壁一面が真っ赤に染まっているのが目に飛び込んでくる。よく見ると、これもアート作品であり、他にも様々なアート作品も展示されている。ここはギャラリーとして使われており、演奏会やライブ、演劇なども行われているスペースのようだ。

食事後、いろいろ店長さんが美術作品について一つ一つ丁寧に解説してくれた。作者は岡部昌生氏。北海道出身で北広島在住とのことなので、自分が北海道から来たことを伝えると、その偶然にお互いにひどく驚いた。赤い作品は、雄別炭礦病院屋上遺構をフロッタージュした作品とのこと。雄別と言えば全国屈指のホラースッポットとして有名なのだが、そんな場所でも芸術作品にしてしまう勇気に敬服!あとで調べてわかったが、この作品は2014年の札幌国際芸術祭でも展示されていた作品だ。どうりでどこかで見たことがあるような気がしたと納得。脳はすべて一度観たものを記憶しているわけだ。

他にも、広島の宇品駅のプラットホームや福島原発近くにあったご神木の切り株をフロッタージュした作品も展示されていた。奇しくも訪れた日が展示の最終日で、閉店一時間前に飛び込んだ私が同じ北海道出身の芸術作品を見ることになったというのも大変面白い偶然である。また近いうちに機会があればちくさ正文館書店と喫茶モノコト~空き地~を訪れてみたい。

日ハム優勝の感慨

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日ハムが優勝したことで、ファンとしては大変すがすがしい気持ちだ。ファンなら当然かぁ。今シーズンはもう四月の終わり頃でほとんどソフトバンクが優勝するものだと思っていただけに、栗山監督の意地と粘り強さには敬服するばかりだ。10年ぶりの優勝であまりにも長く感じるのだから、広島も40年近く日本一から遠ざかっているのを思うと、好きなチームが日本一になるのがどれほどありがたいことなのか、その思いに感謝するばかりである。

しかも、今回は、所用で日ハムが優勝した翌日に広島入りすることになるという、全くもって信じられない偶然が重なった。前日に日ハムが優勝したことで、広島のまちも人も、心なしか元気が少ないように感じてしまった。これが第7戦までもつれ込んで大谷対黒田の対決になっていたら、広島のまちは全く違った顔を見せていたに違いない。幻の第七戦が催されていたらどんな結果になっていたのか、それは永遠の謎だ。広島の商店街には熱いメッセージが掲げられている。地元球団の活躍がどれほど市民を元気づけ、生きる力を与えるのか、その影響力の強さを思わずにはいられない。

今年はオバマ大統領も広島に来たこともあって、広島の土地が半端でない熱狂ぶりで、その勢いのまま広島が優勝するのではないかと思っていた。特に第一戦と第二戦で日ハムが連敗したときは、ソフトバンクとの死闘で燃え尽きたかと思えただけに、札幌ドームに戻ってからの三連勝には優勝への望みが日々膨らんできた。第6戦でピッチャーのバースがタイムリーを打つという信じられない快挙の後にレアードの満塁ホームランがあって、8回だけで一挙6点取った時には優勝をほとんど確信した。とはいえ、広島ファンの知人も多いので、優勝が決まったときは、何となく申し訳ないという気持ちも少なからずあった。

満塁ホームランは相手チームの心に心底大きいダメージを与えるものだ。それだけに、第5戦でサヨナラ満塁ホームランを浴びた中崎の来年が心配になってしまった。2009年の日本シリーズ阿部慎之助からサヨナラホームランを浴びた武田久が、翌年に大きく精彩を欠いてしまったように。クローザーは何よりもハートのタフネスさがものを言うポジションだ。ぜひ来年も中崎には広島の守護神として立ちはだかって欲しいと思う。

来シーズンへの動きは速くも活発だ。吉川光男&石川信吾と大田泰示公文克彦が巨人とトレードすることが決まった時には驚いた。今の巨人に全く関心はなくなってしまったが、巨人で個人的に最も注目しており心底活躍してほしいと思っていた唯一の選手が大田だったからだ。大田は大化けすると筒香クラスの選手になる可能性を秘めていると思っている。最近巨人に移籍した日ハム戦士では、矢貫が戦力外になり、北篤も一軍の出場はしていないようだから、巨人の一軍の壁はとてつもなく厚い。吉川と石川は巨人でも一層花開いて欲しい。本当にそう思う。みんな頑張れ!

『こち亀』 200巻と、さわや書店盛岡駅フェザン店の文庫X

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先週、所用で盛岡に行ってきた際に、駅に入っているさわや書店フェザン店にも立ち寄った。『こち亀』200巻が地元の札幌では物流の関係で発売日に購入できなかったため、ちょうどいい機会だったので、さわや書店で購入することにした。

それにしてもこの本屋で驚いたのは、書店員による、並々ならぬ情熱である。書店の棚作りやオリジナルのポップの数々、これを平積みにするか、という感嘆するような本の配置の数々にめまいがした。駅の書店としてはなかなか広い方で、地元の大作家である宮沢賢治全集(ちくま文庫)を入口すぐに並べているところからわかるように、掘り出しの本や埋もれている名作をこれでもかというくらいにプッシュする姿勢がすごい。とにかく、店員の並々ならぬ情熱が感じられる書店なのである。

出版不況で本が売れないといわれている世の中でも、この店に限ってはそんなのどこ吹く風という感じで、レジの行列が絶えない。岩手出身の漫画家、地下沢中也の作品を並べ、3巻が出そうにない『予言者ピッピ』をブームにして続編を出すべく、この作品が話題にならないのは岩手の恥とまで言ってのけ、作者をwanted扱いで書店に連絡するように呼びかけている。

極めつけは、入口のワゴンに置かれている文庫Xだ。「申し訳ありません。僕はこの本をどう進めたらいいかわかりませんでした。」というメッセージから始まる、文庫担当者による推薦文で埋め尽くされたグレーのカバーによって、著者もタイトルも一切わからない。手がかりは、値段が税込み810円、小説ではないという情報のみで、私が訪れたときはすでに1300冊近くを売り上げている(正確な冊数は忘れたが、冊数がきちんとカウントされてワゴンに表示されている!)。

私もそのただならぬ魅力に引き寄せられ、iPhoneでこの本の情報を検索し(もちろん手がかりはつかめず)、十数分ほど迷ったあげくに、どうしても買わずにはいられないような磁力に絡みとられて、とうとう本をレジに持って行ってしまった。グレーのカバーの上に、さらにさわや書店のカバーが掛けられ、二重にカバーが掛けられた状態で渡された文庫本を店が出るなり、こっそりとタイトルと著者を確認。

なるほど、そうきたか!!!

中身を明かすことは決してやってはいけない。確かに、このタイトルだけでは買うことはなかっと思われる。これはネット書店では決して体験できない偶有性だ。だからこそリアル書店は面白い。更に、文庫Xはニュースでも取り上げられ、全国の書店でも発売されている!

書店員の「推し本」を売る常軌を逸したような熱い想い、そして棚作りの工夫。それが書店を活性化することになり、ひいては読書人口を増やして文化を押し上げることに繋がる。その素晴らしい見本が、盛岡のさわや書店フェザン店にある。これは、とてつもない収穫だ。

なお、『こち亀』200巻に収録されている「部長御乱心の巻」で、盛岡駅前に両さんが出没しているではないか。盛岡駅の書店で買った『こち亀』で両さん盛岡駅を訪れているのも、たまらなく面白い偶然だ。

ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』読書会から考えたこと

日本ノマドエデュケーション協会による読書会第36回@札幌カフェに参加してきた。
今回の課題図書ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』(NHK出版)である。この本の第二章が雑誌『WIRED』の人工知能特集で一足先に訳出されていたので、出版されるのがとても楽しみだった。

内容自体はとても興味深い。ウェアラブルのデバイスによって、身体情報やライフログが可視化され、あらゆることがトラッキング可能になり、情報はクラウドに残ってフローとして流れてシェアされ、すべての製品にチップが付けられてコントロールされていく。シンギュラリティー、IoT、人工知能などホットな話題がちりばめられ、これから最も注目される技術による未来予測がこれでもかとばかり繰り出されていく。

それはそれで非常に面白いものだが、問題は、それが人間にとってどのような価値があるのか?更に、経済的な価値としてどのように市場に流通していくか?流通させることが可能なのか?そこらへんが完全に欠如している。

つまり、本書は未来への予測があまりにも楽観的すぎることだ。というのも、人間が抱えるダークサイドへの懸念が全く描かれていないからだ。

画期的なデバイスの発明によって、映像や写真を撮ることは十数年前とは比較にならないくらい容易になった。そのため、インスタグラムやバインなど、その種の作品を公開するSNSは膨大に存在する。だが「素人」の作品が乱立していく玉石混合の状況の中で、どのように受け手に届けるのか、作品の批評がどのように確立していくのか、さらには、その媒介や橋渡しをする批評家、コミュニケーターの存在の必要性など、その辺の視点がすっぽり抜け落ちているのではないか。逆に、受け手としては、その中からいかに自分好みのものを見つけ出していくのか。

その辺の状況については、すでにおよそ10年ほど前に梅田望夫が『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 』(ちくま新書)で一億総表現化社会として描かれているが、今後は人工知能やデバイス、AR技術の進化によって、地球規模でいっそう加速していくのだろう。

最先端の技術による恩恵を受ける人もいれば、今でも「グーグルって何?」という世代もいる。デジタルディバイドやデジタル格差は開いていく一方である。デジタル格差を縮めるための社会構造をどうするか?その辺もこれからの課題でだろう。


更に求められるのは、専門的知識を有するデザイナーが最先端のデバイスを使いやすいインターフェイスをデザインすることだ。おそらく、技術者や科学者だけが未来に希望を持つ技術を開発しても、それを活かしてうまくカタチにするアーティストの存在が欠かせないのではないか。おそらく富士通ソニーのような企業はかつて画期的な技術を持っていたはずだ。それがイノベーションのジレンマなのか、様々な障害によって、世界に通用する製品を作ることができなくなってしまって(たとえその様な製品を開発しても、その凄さや可能性がわかる人間がいないなど、いろいろ考えられる)、すっかり凋落してしまった。

IoTの技術を活かすためにも、科学者だけが開発してはダメで、それを活かす突拍子もないアイデアを盛り込む必要があるわけで、そのためにもアーティストの力やデザイン思考がいっそう求められると思う。

また、MITの石井裕先生が提唱するtangible bitsによって、本書を越える技術がきっと続々と出現してくるだろうと思う。

さて、読書会で話題に上がったのは、人工知能は別に「知能」ではなく、単なるアルゴリズムに過ぎないのではないか、ということだ。だが、たとえアルゴリズムだとしても、今後の進化によっては、自らディープラーニングによって自律的に進化し、「知能」としての機能を有する可能性もある。それに伴い、人間社会でも進化が減るなど、いろんなパラダイムシフトが起こることはすでにいろいろ言われていることである。

そこで、次の読書会の課題図書が決まった。

ジェリー・カプラン『人間さまお断り』(三省堂)である。人工知能研究のトップランナーである松尾豊先生も激賞するこの本。実に楽しみだ。

さらば、両さん!

ジャンプで不動の連載記録を打ち立ててきた『こち亀』が最終回を迎えた。永久に終わることがないと信じてきた、そして、あまりにも「当たり前」に存在していた作品が、終わってしまう。もし『こち亀』が終わるとしたら作者の急逝しかないと信じて疑っていなかった(過去に作者の急逝により激しくショックを受けたのは、藤子・F・不二雄だ)。

コミックス200巻を機に連載を終えるという決断を下したのは、作者である秋本治の苦渋の葛藤であり、そして英断だろう。物心ついたときから『こち亀』が僕の傍らにあった。漫画の読み方を学んだのも、『こち亀』のおかげだ。百科事典のように膨大にちりばめられたトリビア、広いテーマ性、独特のセンスで繰り出される豊富なボキャブラリー。地下世界から深海、宇宙空間まで縦横無尽に駆け巡る破天荒な両さんの行動は、常に自分を気持ちを励ましてくれた。自分のボキャブラリー形成に大きく寄与したのも『こち亀』の影響が大きい。

こち亀』が終了するという一報が流れてから、メディアの扱いも大きくなった。著名人のこち亀に対する思いが記事で紹介され、NHKのニュースでも特集が組まれていた。葛飾区の公式ツイッターでは、『こち亀』一色になった亀有駅の写真が公開されている。漫画界のなかでも屈指の「戦場」とも言える『週刊少年ジャンプ』で、40年間一度も連載を落とすことなく続けてきたことが、想像を絶するほどすごい偉業なのか、それはもっともっと評価されてもいいだろう。

「当たり前」のように続いてきた『こち亀』が唐突に終焉を迎えることで、その価値がどれほど偉大だったのか、今改めてそのすごさに瞠目するが、最終回ゆえにに寂しさを感じるのかと言えば・・二度目のことだから、衝撃は緩和されている。なぜなら、69巻に収録されている「両さんメモリアル」のニセ最終回で、かつて最終回のショックを味わった影響があるからだ。だが、今回は本当に最終回だ。それでも、今回の最終かもドッキリで、300巻も出るくらいこれからも続くのではないか、と思わずにはいられない。そこが、こち亀の影響力の凄さであり、これもまた、とてつもない偉業ゆえになす技なのだろう。

ありがとう、両さん
さようなら、両さん
そして、秋本先生、ありがとう。